文字の大衆化(ポップ)

書道家 Artist 杉田廣貴
「文字のポップ」シリーズ Love 2016

日本では、

文字自体が大衆化されて、

独自の文化を築いてる。

高尚なものだった文字。

やがて、大衆化され、

さまざまなフェーズを辿っているけれど、

戦後日本の文字の大衆化は、面白い。

 
 

書道というカテゴリーも少し前までは、

高尚で、一線を画すものだった。

だけど、

戦後、習字教室、書道教室が全国に渡り、増えすぎて、

「書ける人が増えすぎた。」

書道や習字を学んで、できる人が増えたものだから、

教室をやっても食べられない人だって出てくる。

そこで彼らは考えて、新たなアイデアで方向性を作っていく。

筆文字教室、絵手紙教室、デザイン書道教室など、

墨で文字を書くということ自体が枝葉のように分かれて行く。

読売や毎日など、協会や派閥に分かれる社会自体も、

すでに時代遅れになりつつある。

たぶん、みんなの手に追えないほど、大衆化されてる。

100円ショップで全てのセットが揃う世の中になったから、余計?

飽和状態。

さらには、

戦後は西洋化された日本だから、

書道を家に飾るという文化すらなくなってきてる。

 

でも、視点を変えると、

いいこともある。

全国に渡っていて、

日本を代表する「文化」になっている。

だからこそ、作り手が意識を変えなくちゃならない。

 
 

これだけの変化が起きている中

書道というカテゴリーの人間同士が、

「あれは書道じゃない」とか、

「あの人はどう」とか、

言い合っている場合じゃない。

すでに、私たちが思っている以上に「文字は大衆化」してる。

あなたが思っているほど、

書道というカテゴリーは高尚に見えなくなっている。

(でも作品は高尚であっていい。)

伝えたいのは、

作り手がどうであるべきか?

批判しあって、

蔑み合う暇があるなら、

学び合って、

共有して、

ともに今の時代の文字を残していく考えに至ったほうがいい。

肩書きなんて、

どうでもいいものだ。

誰に師事したかなんて、

関係ない。

どの協会に入っているかを自慢したって、

それは変わらない。

だってそれは、「あなた」じゃない。

 
 

大事なのは、

「あなたがどう生きているか?」

だと思う。

それが未来に残るだけ。

もしかしたら消えるかもしれない。

そんなことに恐るくらいなら、最初からやらなきゃいい。

 
 

杉田は、その大衆化された中で生まれた書道家だ。

だからこの大衆化された文字の社会を

客観的に見れる。

それは、本当に良かった。

 
 

この大衆化をテーマに、今はシリーズを作ってる。

アートなのか?

書道なのか?

落書きなのか?

その討論は未来に託す。

作り手は、ただ表現を続ける。

それだけでいい。