2017年の杉田廣貴パンフレットを作りながら、
ふと気づく。
2007年に始めた大書揮毫も、もう10年経つのかって。
あの頃、
滞在していた神社の宮司から、
「パフォーマンスをするな。奉る精神を大事にしなさい。
あなたの書の揮毫を、”ご神事”だと思いなさい」
この助言の本質をひたすら探究しつづけて、
もう10年。
まだ10年。
ものすごい変化と深化を与えてくれた。
ただ正直、まだ宮司がおっしゃった「神事」の本質にはたどり着けていない。
まだ、どこかで魅せようとする心がある気がする。
まだ、どこかでエンターテイメントにしようとする心がある気がする。
まだ、どこかでパフォーマンスをしようとしている心がある気がする。
まだ、どこかで我が入る時がある。
これについては、
きっと見た目では分からないのかもしれない。
自分自身との向き合いであり続けるから。
無我の境地に至ったときは、本当にいい作品が生まれる。
「神がかった」ような作品。
江ノ島神社へ奉納した「龍」はまさにそうで、
自分が書いたように思えない深みで、
それを書いた記憶を思い出せない作品。
そんな作品を、未来に残すことができて、幸せものだ。
この10年でいくつかの神がかった作品と巡り会えた。
実演奉納の際に、
無我の境地になれたとき、本当に「神事」と呼べると感じるようになった。
「我」がそこにあるとき、作品はダサい。
自分でもよくわかる。
そんな時は、はんぱなく悔しい。
自分に負けたってことになるから。
その繰り返しで、未だに自信は持てないが、
この「大書揮毫」が自分の10年を築き上げてくれた。
はじめは、
「日本文化の本質」を知りたいとか、
「道の本質」ってなんだ?
という思いからスタートした。
神道を通して、その心の軸ができ、
鍛錬を続けて行くなかで、
所作は、
真言の高野山で修行された方と、
出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)で行者として長年奉仕している方に学んだ。
そのすべてが巡り会い。
考え方や、所作、生き方、視線、その一つ一つを、
それぞれのプロフェッショナルが教えてくれた。
すべてが巡り会い。
こうゆうのを運命と呼ぶんだと感じざるを得ない、出会いが大書揮毫を育ててくれた。
ほんとうに、ありがたいところ。
神社への8ヶ月の滞在も、
2006年に出会っていて、
2007年に「日本文化」を学びたいと伺い、流れで居候した。
いや、流れで居候したっていうことが、
今思えば、本当に感謝するべきことでして、、(感謝)(T0T)
あの時は、全然、和の意義も意味も知らなかった。
神社の宮司と禰宜と、ご家族の誠意のおかげで、多くを学んだ。
あの8ヶ月に全国の多くの方々へ出会わせてももらった。
本当に感謝しかない。
「パフォーマンスをするな、奉る精神が大事だ」
とお教えくださった助言が、
今日の大書揮毫の基礎となり、育んでくれた。
正直、日本文化や所作に対して、最低の知識しかなかった。
今でもそうだ。
本職の方々にはかなわない。
それでも、
この大書揮毫を、
神事として10年続けてこれたことが、本当にありがたい。
今では、
日本人や海外の方も、
その”所作”に涙を流してくれる。
その”気”に感動してくれる。
元兵士からのメダルや、強面の方が握手ひとつで涙を流したり、これは「体験」だと絶賛くださったり、日本人でよかったと感想をくださった方がいたり。90歳の医学博士から逸材と言っていただいたり。
この作品がなければ、
今の杉田廣貴はなかった。
今ほどの和の深みを、知ることもできなかっただろう。
もちろん、まだ全然深いところに真意があるだろう。
もう10年続けた時、何が見えるのか。
「奉る」がもつ本質探究は続けていきたい。
書く作品がすべてではなく、
空間そのものを作品になってきた今だから。
より研鑽が必要。
精神性を高めながら、進むのみだ。
この10年巡り会い、
杉田に教えを説いてくださった全ての方に、
感謝をこめて。
Artist , 書家 杉田廣貴(すぎたこうき)