これまで、書家もアーティスト活動も一緒にしてきました。
私にとっては、どちらも一緒で、
ある思想や哲学のもとに表現をしていました。
近年、海外への活動も増えてきて、おかげさまで書家としてはG20などの国際的なサミット、世界的なブランドにもおさめる機会も増えて参りました。
年内に、中東へも仕事で行くことになりましたし、本当にありがたいです。
文化人として、書家としての意識の高まり
書の活動の中で、
文化人としての意識が高まりました。
日本文化を発信する担い手としての役割を感じるようになりました。
また、剣道から始まり、書に移行した「道」の探究者としての役割も、
ひしひしと感じるようになりました。
それは、
仕事というよりは、ライフワーク。
自分の鍛錬のために日々行なうものでして、もっと学び、もっと表現の質を深めたい存在にまで大きくなりました。
これからさらに作品の質を高めるためにも、
書家であり文化人としての立ち位置も大切に育てていきたいと思っています。
アーティストとしての思い
文化人としての意識、
書家としての思いは、後からきたものです。
杉田にとって書は、これから体現していくアートのために始めたものでした。
最初から「アート」が介在していました。
2006年に、ウガンダの元難民に出会った時から「アートを通じて、どうしたら彼らにも社会貢献ができるのか」を模索する日々でした。
戦争と平和
有と無
陰と陽
この世界を取り巻く出来事には「真理」のようなものが働いているかもしれません。
私は書の活動を通じて、キャッチしたかったのは、「日本古来から続く思想」でした。
アニミズムというものかも知れませんし、
無の境地でもあるでしょう。
アイヌや縄文まで遡る思想であり、それは大きくいうと遥か昔に、この世界中に存在した「思想」だと感じています。
現代の伝統という文化の中にある「日本」ではなくて、
縄文まで遡って存在し続ける「日本」を知りたかった。
そのためのパフォーマンス、神社への滞在、書の探究でした。
「思想」が、これからの時代や社会へのメッセージを届けるために必要な「アート」になりうると感じていたので、
その思想を体感するために、今までがありました。
アートをするために
思想や哲学を軸に、コンセプチュアルなアートを表現していくのもパワーが要りますし、鍛錬や学習が要ります。
美術史の上に立つことがアートをするために重要でしたので、
そのために、ニューヨークへ行った2013年から現地で、
また日本で調べに調べまわって、アートを学んできました。
やっと、今から、そのアートを発信していくことも始めていきます。
すでに、少しずつは作品を通じて、見せてはいましたが、
どこかしら「書家」としての自分がメインに立ちすぎて、なかなか表現しきれなかった数年がありました。
アーティストとしての目標があるので、
しっかり実現していこうと思います。
まずはウェブサイトから立ち上げから。
これからも書家・文化人としての杉田も、
アーティストとしての杉田も応援いただけると幸いです。
やがては、どちらともに融合して社会への貢献ができれば本望です。
完成まで、今しばらくお待ちを。
お読みくださり、感謝申し上げます。