2016年までの活動を振り返りながら、
そろそろかと、
書道家や芸術家の「相場」
美術館が出した「文化的価値」
も参考に、
杉田の直筆作品の価値や、
プリントの作品価値、
また、その仕事スタイル自体も見直してます。
この数年間の海外での活動や、
今年の美術館への収蔵、
カルティエのVIPへの作品採用、
江ノ島神社や生島足島神社への作品奉納、
などの実績・経験もあり、
杉田自身の作品作りへの姿勢も変わりました。
2016年は、
美術館や神社へ作品が永久に残っていくこととなり、
より「杉田廣貴」がつくる作品への考え方が、
「作品」ではなく「文化財」を作っているという意識に変わってきました。
おこがましい考え方かもしれないですが、
近くも遠くもない未来には、そうなり得る可能性を知ると、
「作品」への意識が変わってしまいます。
そうすると、
たった一筆に使うエネルギーや精神力も、
道端をやってた頃や、近年の比じゃなくなってくる。
書というのは、「一瞬」で書き上げられますが、
されど「一瞬」なのです。
その「一瞬」との勝負を積み重ねてきた上で、
あなたが依頼した一枚の「一瞬」と向き合うのです。
だから、
もう「一瞬」の作品ではなくなっている。
11年間、積み重ねてきた経験と、実績と、その「一瞬」の数々も、
一枚の作品の一部として認めていい。
さらにいうと、「道」の探求という意味では、
剣道も合わせて23年間分の1が、
杉田が書く価値のひとつ。
書道教室を開くわけでもなく、
メディアに出るわけでもなく、
文字を買ってもらい、
それ一本で実績を作ってきたことも、
その価値のひとつになる。
だから、もうそろそろ、道端からの延長上での金額じゃダメになってきてる。
彼らの価値を、ちゃんと理解し、
彼らのステージに立たせていかないと、
生み出した親として失礼だなと感じています。
「価値を決めるのは、自分」
心のどこかでクリスティーズやサザビーズオークションや、
美術館で価値が認められない限りは、
金額をあげられないと思っていました。
作品一枚を1億円以上の価値にするのが杉田の目標の一つ(亡くなった先輩との約束)のため、
外が価値を決めるのが普通だと思っていました。
さらに、自分がやってきたこと、その経験と実績を、
ちゃんと認めていなかったと反省してます。
「価値を決めるのは、自分」
杉田が心から認めた価値で、世に出て、
初めて「一(いち」となるのだと、
ここ数日で、ようやく腑に落ちました。
金額等はすぐに決められるものではないので、
じっくり決めていきます。
仕事のスタイルについては、2017年から変わります。
応援くださる皆様に感謝(T~T)