心を無にするといって、
瞑想したり、
心が動かない状況を創ったりすることがある。
ろうそくの火を観ながら、たゆたう自分の波を「無」にする。
書を書き続けながら、精神の波を「無」にする。
それが無だと思い、行動する時もある。
スポーツに夢中になっている時間。
仕事に没頭している時間。
あなたの好きなことに一生懸命になっている時間。
ワクワクする時間。
一生懸命、チャレンジしている時間。
そんな時間も、心の状態でいったら「無」だよなって思う。
大書揮毫のときに『無』という文字を書くとき、
どう考えても無じゃねーだろ!って突っ込まれそうなくらい、
狂った感じで、
全身全霊で「無」を書く。
だから、文字も、みんなの想像する「無」っていう感じじゃない(苦笑)
このサイトのトップにある画像、
↑も、「無」という文字の抜粋で写真とってる。
2015年8月に大書揮毫での演目で書いた作品。
「無」にはほど遠いようで、
きっとこれも「無」なんだと云う。
陰陽両方ともあって存在するすべて。
一生懸命がんばっている貴方も、
無我夢中になってるその姿も「無」。
ゆっくり休んで、自然と調和して、
深呼吸している優しいその姿も「無」。
どっちでもいいんだよ。
あなたが生きたい方向で。
どっちも正解なんだから。