杉田 曠機
Japanese Calligrapher
ステートメント
様々なものやことが複雑に絡み合いながら私たちの世界を築いています。そんな世界に生きる私たちは複雑に絡み合う世界を正しく認識しているでしょうか。その一側面だけで受け止めていないでしょうか。
愛という概念を思い浮かべてみましょう。辞書には【そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。かわいがり、いつくしむ心。大事なものとして慕う心。】と書かれています。しかし愛が生み出すのはそれだけではありません。時に愛は【価値を認めずに、強く引き離す気持。憎み、蔑み、妬み。】のように、愛とはかけ離れたものも生み出します。
私が向き合っているのは一義的な概念に囚われてしまった私たちの認識です。閉ざされた認識を開放した時に現れる世界を見たいのです。
例えば、ステンレスを素材として用いた作品『THE PRESENCE』では、鏡面が生み出すものに気付くことができるでしょう。そこには、自分と他者、現実世界と仮想世界、東と西などが表れます。鏡に映る自分、つまり他者でわかるように、それは相反するにも関わらず、ある意味で同一なのです。こうしてお互いを否定することなく相対することで、それぞれの意味を生み出すのです。
閉ざされた世界の見方は普段の暮らしに留まりません。それは美術史にも大きな影響をもたらしています。西洋美術において絵画が生み出したのは空間でした。それは抽象絵画、コンセプチュアル絵画であっても絵画空間として理解されてきました。しかし絵画は空間だけなのでしょうか。書道によって描かれるのは文字だけではありません。それは文字であり、同時に空間を生み出す絵画でもあるのです。
私はこうした作品制作を通じて、全てを受け入れ既に与えられた判断を取り除きたいのです。それによって現代社会の様々な常識や概念を捉え直して、可能性に満ちた世界を見ることができるのではないでしょうか。
2022.07.09
バックグラウンド
これまでの人生が私の表現に大きな影響を及ぼしていることは間違いないでしょう。
幼い時に、親の離婚と再婚、兄や兄の友人からのイジメを経験しました。何度か死を感じる出来事もあり、「生まれてきてよかったのか?」、「生きていていいのか?」と、幼少期は自分に問い続けることになりました。19歳の時には、わずか7日間に2人の自殺と遭遇したことで、幼少期のフラッシュバックが起きてしまったのです。
そんな厳しい時期に出会ったのが、バスキアの映画でした。彼の生き方に感銘を受け、それを通じて他のアーティストも知り、アートに興味を持ち始めます。同時期に、オノ・ヨーコなどの社会問題をテーマとした活動家や、アーティストから大きな影響を受けます。そしてイラク戦争、環境問題などのコミュニティに積極的に関わることで、ウガンダの元難民の女性と出会い、社会におけるアートの可能性と重要性に気付いたのです。
表現者になるべく美術を学び始めましたが、独自性を失った日本の美術に矛盾を感じることがありました。そこから日本人としてのアイデンティティを考えるに至り、「書道」を表現の媒体にしたのです。まずは路上に描かれる表現としてのグラフィティと同様に、「言葉」を武器にして路上で書く行為を始めました。
自分のアイデンティティを考える中で、日本の伝統文化への興味を押し止めることはできませんでした。そのため神社に滞在し、日本文化の研究として東洋美術と宗教の関係性を探るべく神社仏閣に一晩こもり、書を描き続けることを幾度も行いました。そこで東洋思想における無の境地とも向き合い、作品を生み出すようになったのです。こうして「存在を受け入れ、肯定する」ことが、表現の中核となっていきました。
制作を続ける中で、「存在を受け入れ、肯定する」という考え方が、以前は向き合えなかったものにも向き合わせてくれました。西洋美術とも向き合い、自分の表現に取り入れています。こうした変化が、一つの思想や概念には囚われず、多面的な視点に気付かせることを表現として打ち出させたのです。だからこそ作品を通じて、全ての存在がもつ可能性を示し、受け入れることで見えてくる美しさや素晴らしさを表現できればと願っています。
2022.07.16