今まさに、自分に問うてる言葉。
「自分らしく、尖っているか?」
いろんなジャンルの方々と出会う。
出合うのは、
いろんな人間をみたいから。
いろんな視点を知っておきたいから。
それは、これからも変わらない。
一つの常識に囚われたくないからという観点がある。
また、人の生き方やストーリーを聞くことが好きだからってのもある。
ただ、ここ最近、尖る大切さも感じてきてる。
尖るの土台が「大きい」ほど、「小」の尖り方はすごいことに
尖るための土台は、
基礎、技術、人脈、繋がり、出会い、経験、お金、歴史など、
きっといろいろな意味があるのだろう。
そうした「土台」を広く深く、蓄えていってから、
自分の「先端」を小さく細くしていくと、
その尖り方は輝きやオーラというものになるんじゃなかろうか。
尖るとは、「研がる」という意味にもなるように。
磨げば、研ぐほどに、輝きは増す。
ただ、その土台は厚くて太くて広くて大きいほどに良いのかもしれない。
だから「尖」という漢字という視点も持てる。
そろそろ「尖る」事を意識する
ここ最近、出会う方々の個性の具合がすごい。
再会もあって、個性のすごい方々と再びお会いする機会も増えてる。
そんな毎日を過ごしていて、
「自分らしく、俺は尖れてる?」
って自分に問いかけるようになった。
まだね、自分の頭にある、心にある作品たちを生み出しきれてない。
自分のイメージにある自分を体現できてない部分もある。
今までは、尖る必要性を感じてなかったんだけど、
ここのとこ、尖る必要性を感じるようになってきてる。
別に、何者かになろうとしてるわけじゃない。
すでにある「自分の尖り」を表に出してこーぜと、
感じている話。
「人」である以上、
「囚われない」ように。