この写真の場所。
長崎の浜の町アーケード。
ここで2006年後半〜2007年1月まで路上パフォーマンスしてました。
今も変わらずあるのは嬉しい。
気持ちの原点回帰が出来た。
当時はまだ言葉ギフトの原型を制作してて、がんばってた。
どちらかというと、詩人で、まだアートとは何かすら分かってなかった。
2006年6月くらいに、旅人をしてた時期に長崎にきて路上に出た。
そこでインディーズアートクラブ&ギャラリーのオーナーに声をかけてもらった。
「君、いいテンポで線を書くね。」
と言われたのが嬉しく、その後ギャラリーへお邪魔して個展をさせてもらうことが決まる。
2007年3月に初個展のスケジュールが決まり、
迷ったあげく、11月末に長崎へ引っ越す。
いや引っ越すという言葉はおかしい。
当時の杉田には家はない(笑)
2007年3月の個展で成功しなかったら、この仕事をやめよう。
実は、心にそんな賭けをして長崎へ移動した。
長崎を拠点にしてからは必死だったなぁ。
路上に出て、とにかく書いて。
ほとんど知っている人がいない上、
なんと長崎に到着してすぐ携帯電話を盗まれてしまい、、、人脈を絶てというメッセージだろうと自分に言い聞かせ、とにかく「今から出合う人たちは、自分の人生に必要な人達」とセットアップした。
そのおかげか、出合う人出会う人、運命のような繋がりばかりだった。
3月の個展を成功させるために、
2007年の1月にはテレビに出演した。
「路上から世界へ」という特集で、ニュースに出たことで長崎でまず話題となり、すごく良かったってことで、
それが九州で放映された。
(このテレビのタイトルのおかげで、世界へ行かなくちゃと思うようになったのは、秘密(笑))
そしたら翌日、トップの写真の銀行前に大行列!!
テレビ、すげぇーー!!!
と感動!
それもつかの間、道端に広げようとしたら警察と商店街の方々がやってきて「ここで商業活動はやめて」と、、、。
いやそうだよね、、その行列がすごいのなんの。
結構長くって、アーケード内のお店の前まで続いてたから迷惑極まりない。
ほんと、ごめんなさい。と並んで下さった皆様に謝り、、
それが杉田の路上活動最後の日(汗)
路上を急遽卒業させられた杉田は、また必死。
どうやって3月の個展を宣伝しようかとイベントやら、ラジオやら、とにかくチャレンジ。
そして1ヶ月半後の初個展には、ものすごい量の方々がお越し下さり、大盛況。
テレビの取材やラジオの取材も多く来て、
この仕事続けていいんだと安心(T~T)
でも、個展終了間際に、
ギャラリーのオーナーから言われた言葉が心に残る。
杉田くん、正統派であろうね。
時間はかかるけれど、地道な活動のほうが大事だよ。
その言葉でハッとして方向転換。
それから実力がつくまでは、こうゆうやり方で個展を宣伝するのはやめようと決めました。
自分の世界観と向かい合っていこう。
それからは本当に地道(笑)
自己成長と葛藤の毎日。
でも、それがあったから、今こうして海外での活動も地に足をつけて出来てる。
夢を与える
久しぶりに訪れたインディーズアートクラブ&ギャラリーは変わらず、ぶっ飛んでいた。
ナマズすらアートに見える錯覚(汗)
杉田が現代アートに衝撃をうけた一番最初の場所。
こことの出会いがなければ、ニューヨークにすら行ってない。
現在、生徒として教室に通っている高校生に話をしてと言ってもらい、その場で軽いトークライブになった(笑)
「夢を与える立場」
なんだなと少しだけ理解した。
目指しているのは世界的に最も尊敬されるアーティストの一人になることだから、まだまだ。
けれど、これから頑張ろうとしている方々への勇気になるんだと感じ、気を引き締めていこうと感じた。
成長すること、活躍することがギャラリーや応援くださっている方々への恩返しになる。
もっと高みを目指していこう。
そして、ちゃんとサインくらいは書けるようにならないと、そろそろヤバい気がしてきた(苦笑)
新プロジェクトのための会議
まだブログには詳細を書けないけど、面白いプロジェクトを作ってる。
先日話した「準備」の事。
その他の打合せもかねて長崎へ来てた。
杉田や言葉ギフト、あんてなの今後の方向性も一緒に話し合い。
いい会議となった。
とりあえず、言葉ギフト.comの書き手は8月までに卒業する。
新プロジェクトについては、もう少し先にお伝えします。