1年数ヶ月ぶりの宮崎の実家へ。
三日間だけ帰省してました。
鵜戸神宮へ行き、
青島を堪能。
思えば、10年近くぶりの鵜戸神宮でした。
運玉をなげてきました。
ここで毎年、剣道の試合をやってて、よく負けてたなぁと懐かしむ。
鵜戸神宮で写真撮ってもらったんですが、
後ろの岩が顔に見えません??
青島神社では狛犬がポケモンに見えてしまう始末。
ちょっと頭がおかしい杉田です。
青島神社のご神域にも久しぶりに入る。
なんだか観光スポットぽくなってて、悲しい気持ちにもなりました。。
十数年前、青島神社で音楽ライブがやってて、
満月の夜だったんですが、神社内を限定解放されてました。
神社の脇に、このご神域の入り口があり、カギ型のように、進んで行くと円形のサークルになっていました。
(今は、そこに社殿が建てられてます)
その円形のサークルに満月の月明かりがさしていて、
まわりの木々が音を遮るのか??
音楽ライブの音や人の声も聴こえず、
さざなみの音が少し届くだけ。
そんな不思議な空間でした。
あの日の満月は、記憶にも美しく残っていて、
ライブの間、ほとんど誰も入ってこなかったので、一人で円形の真ん中に寝転がったのが懐かしい。
それ以来、大好きな場所です。
今は、観光スポットみたいになってて、、、(苦笑)
帰り道は、生駒高原や霧島神宮へ立ち寄り、
そのまま鹿児島時代の友人に挨拶し、帰宅。
霧島神宮の夕日がすごく綺麗でした。
完璧でなくていい
久しぶりの帰省は、
祖父母や両親に会いにいくために。
帰って、
祖父と話していて、すごく印象に残った言葉をシェアしておきます。
自分の記録のためにも。
祖父は、五ヶ瀬スキー場や酒泉の杜など、
宮崎の有名施設に関わった建築家でもあります。
そうゆう情報を知ったのは、ここ数年。
ひとつの時代で道を切り開いてきた建築家の祖父からのアドバイス。
それが、
完璧でなくていい
という言葉。
たしかに、完成されることは大事。
洗練されることも、一流になることも大事。
感動を与えることも大事。
だけど、
完璧ではなく、
隙があるほうがいい。
お客さんや、それを見る誰か、受け取った誰かが
一緒になって「答え」を見つけてくれる。
キャッチボール
重要なのは、「会話(対話)」してもらうこと。
相手が、入っていけるような隙間を作って置く。
祖父は、自分が設計した建築物でも、これは自分ではなくお客様がつくったと思うようになったと言ってました。
そのくらい、会話(対話)ができる状態をつくってきた。
作品展や展示会も、会話(対話)の場だと。
それはお客様と自分じゃなく、
自分の場合だと、作品とお客様の対話。
完成度は高める。
それは、絶対のライン。
上手い下手は誰が決めるのか?
出来上がったものはすべて最高のもの。
素晴らしいとは、相手が解釈する。
そのように解釈させる技術が必要だし、
それから先の悩みだって出てくる。
とも祖父は言った。
そのあと、後世に残るものについても話してくれた。
後世に残るものとは。
一緒になって作っていく、育っていくもの。
作品を見る人、対話する人、育ててくれる人。
そうゆう人たちが増えて、自分がいなくなっても作品が人とともに育っていくから、
後世にも残る。
偉大な美術家も、その人が残したのでなく、
残す人がいた。広める人がいた。育てる人がいた。
完璧でなくていい。
隙があるほうがいい
「まわりが育つ」が大事、
と教えてくれました。
///
この言葉、今の自分には、ほんとグッとくる言葉でした。
完璧な作品を心のどこかで求めていて、
この言葉をきいて、これからの作品づくりへの恐怖心が少しほどけました。
また人間性もそう。
祖父は話の中で、こうも言ってました。
「参った」を相手に言わせない
相手を負かしたらいけない。相手に参ったと言わせるような勝ち方はダメ。
自分から「参った」と言えること。
その大切さも話してくれました。
仕事でもプライベートでも大切なことと。
個人的にはこっちの内容は、さらに大ヒット。
人生の先輩として、
祖父として話してくれた言葉たちは、
自分の今の心にドンピシャで、気づきになりました。
こうして話す時間をもてたことに感謝です。