7/2に、西原村と、南阿蘇へ震災復興の取材へ同行しました。
福岡のソーシャルビジネス関連の統括をされている、一般社団法人SINKaの代表・濱砂さんのお誘いでした。
伺ったのは、
(1)西原村 かわはら復興祭りと、災害後の今
かわはら復興祭りの報告と現状、災害から1年後の西原村の今
西原村の「おやじの会」の方々が担当している「かわはら復興祭り」の2016年の報告
「おやじの会」については、杉田は関わっていないため話を聞くだけでしたが、昨年から熊本阿蘇の復興支援において寄付金を集めるなどして動かれているようです。
2017年に何をするか?の話。
8月26日に西原村の河原小学校にて祭り開催が決定しているとのこと。
昨年が第1回目で、今年が2回目。
どのような演目をするのか?、出店するなら何をするのかなどを話し合い。
その後、災害後の今を聞いてきました。
(2)阿蘇アースライブラリー
ジャーナリズムを主に撮影してきた写真家の長野良市さん
南阿蘇ふるさと復興ネットワーク、事務局長の吉村さん
と、震災1年後の現状と、これからの動きについて話を伺ってきました。
阿蘇アースライブラリーHP:http://www.earth-aso.jp/
南阿蘇ふるさと復興ネットワーク:https://www.facebook.com/minamiasofurusatofn/
この南阿蘇ふるさと復興ネットワークさんは、
震災が始まって以降、
ボランティアが、全国から毎月大勢の人が集まってくるので、
受け入れや仕分けなどを対応されていたそう。
1年超経った今、
その数は減っていて、
ようやく行政も次に向かう段階になってきたとのこと。
これまではボランティアでしたが、
話を聞いていて感じたのは、
これからはビジネスラインがしっかりしていかないといけないと感じました。
熊本大震災は半分が壊滅していて、半分が無事だった。
ある地区では集落ひとつが、まるごと無くなった地区もある。
逆に無事だったために、その後の人の入り(宿泊・観光など)が前年より多くなったため恩恵をうけた地区もある。
そうした背景もあって、集落や行政の中の「人」でも意識の差、溝が出てくる。
内部でどうこうしていても、きっとまた1年がすぎるだろうと話していた。
外部からの人間がいかに「熊本・阿蘇」への観光や農業、またその他のビジネスラインを固められるかも肝になってくるなと感じた。
もちろん内部が一致団結するに越したことはないけれど、
一つでも成功事例を作ることができれば、
行政も内部も関わってくれるようになるだろう。
杉田には何ができるだろう?と考えながら、自分なりのブランディング提案を濱砂さん達にしておいた。
(3)ジアスカフェ
世界農業遺産の略称をとった、ジアスカフェへ。
このカフェや南阿蘇の未来発展へ向けて活躍されている大津えりさんに話を伺いました。
ジアスカフェHP:http://i-nakama.org/giahs_cafe/
このジアスカフェ、シェルターになっており、
熊本大震災のときも、周りが停電している間、「太陽光パネル」を使っていました。
目の前が避難場所の小学校だったこともあり、被災者の皆が、電気充電やラジオを聞きに来るなどした。
店舗の冷蔵庫はだめだったらしいですが、他は使えたとの事で、
夜も南阿蘇の真っ暗な環境下で電気もつけられて情報共有が可能であったとのこと。
救急隊を呼んだ時には隣の大津さんの自宅を貸出、宿泊してもらうようにした。
現在、大津さんはバイオマスや、メガソーラーなど、
南阿蘇の自然あふれる素晴らしい環境で、
環境と共生する技術での「ライフスタイル」を築いていこうとしている。
彼女の発想力と、行動力と、実行力は、すごい。
頭の回転の早さ、アウトプットにいたるまでのスピードに感動した。
阿蘇ロックフェスティバルの開催や、
レストランバスを南阿蘇に引っ張ってくるなど、
そのエネルギーたるや、清々しかった。
西原村も、南阿蘇も、コミュニティがしっかりしている
災害中の話を聞いていて、
西原村も、南阿蘇のどちらも、
同じ地区の誰が、何時に大体どこにいるかを把握していたこと。
「○○さんなら、この時間、縁側におる」
とか、
「○○さんなら、この時間、スーパーに出かけてる」
など、同じコミュニティ内で繋がりある人がいつどこにいるかをある程度把握できてること。
それだけお互いを知り合い、
繋がっていたことが震災時かなり役に立ったとのこと。
震災時に「あの人はここにおるよ」などの的確な情報がちゃんと取れたことで救急隊が救助に行きやすかった。
そうしたコミュニティの連携が、人的被害を最小限におさえたとも言っていた。
※福岡と阿蘇のデュアルライフ(二重生活)をされている方々は関わりが少ないため、連絡の取りようがなかったとも話していた。
杉田も田舎育ちなので、割とこの感覚は分かる。
都会にいると隣の人、同じマンションの人との挨拶も少なくなる。
町中の小学生も、こちらが挨拶しない限りは挨拶はなかったりする。
でも都会にいても、近所のひとり暮らしのおばあちゃんとかに挨拶していたら、時々「米」をくれたりする。
近所=ファミリー的な考えが、田舎育ちの杉田には根付いてる。
普通にどこでも挨拶したり、声かけたりする。
「調子どう?」みたいな話をしたりするからだろう。
そうして近所の人との少しの繋がりが、有事の際に活きる。
以前も、近所の一人暮らしのおじいちゃんが倒れて血を流して動けなくなっていたから、救急車を呼んで止血したりしたなと書きながら思い出す。
震災がすべてじゃない。
今、高齢化社会。
孤独死もあると言われている。
田舎だから、都会だからとかでなく、
人であるからこそ、支え合う姿勢は忘れちゃいけないと、皆さんの話を伺いながら感じた。
西原村、南阿蘇の皆さんは、明るい
さすが火の国。
太陽の国。
みんな、明るい。
震災時も、その日にBBQしてたって聞いた。
冷蔵庫が使えないから今のうちに腐ってしまう食材や、ぬるくなったら美味しくないビールなどを、すべて平らげようと、BBQしたんだそうだ。
なんてサバイバル能力の高さ(笑)
まるで、古事記に出てくる神様だ。
日本人はもともと「根明(ネアカ)」な民族だったと歴史上には記載されている。
根暗(ネクラ)じゃなかったんだ。
こうして、実際の体験を聞いて、さらに感じた日本人の底力。
これはこれで、勉強になった。
今回の取材等を冊子にするとのこと
熊本大震災、その後の現状を、濱砂さんが関わる「おやじの会」の皆さんで冊子を制作するとのこと。
その冊子の表紙に杉田の字を使うとのこと。
また、その他のことでも杉田のアートや書道関連ごとが活用されそう。
ちょっと楽しみ。
先日ブログにも掲載した「準備」の事業が、まさにこうした創造力を活かした社会貢献をビジネスにまで活かす事だったので、
取材を通して、
たくさんの視点や可能性を感じられた。
あと、昼間に食べた阿蘇のお蕎麦屋さんが絶品だった(余談)