「掛け軸」について、改めて考える。

書道 掛け軸 書道家

これまで書道家として、「掛け軸」は切っても切れない関係でした。

しかし、「掛け軸」とは何か?

を、改めて考える機会はなかったので、この機会に「掛け軸」について掘り下げていきたい。

上記画像の「観自在」のように、これまで様々な作品で「掛け軸」を使ってきました。

近年、額縁(フレーム)の価格高騰もあるため、掛け軸の方が良心的な費用で表装もできるようになっています。

海外での個展や作品発送の際も、フレームやキャンバスを海外へ発送するよりも、掛け軸の方が安価になりますし、通関の心配も少ないです。

そんな掛け軸について、改めて、当サイトでは回数に分けて書き出していきます。

 

1、「掛け軸」とは?

掛け軸(かけじく)とは、絵画や書などを布や紙に描き、上下に巻き軸を付けて巻いたり広げたりできる形式の日本の伝統的な装飾品です。主に室内の装飾として、季節や行事に応じて掛け替えられることが多く、茶室や床の間などで特に見られます。

掛け軸の構造

掛け軸は以下のような構造を持っています。

本紙(ほんし):主役となる絵画や書が描かれている部分です。
表装(ひょうそう):本紙を保護し、美しく見せるための周囲の装飾部分。布や紙で作られています。
軸棒(じくぼう):掛け軸の上下に取り付けられる木製の棒で、上部には「天棒(てんぼう)」、下部には「地棒(じぼう)」があります。
軸頭(じくとう):地棒の両端に取り付けられる飾りの部分。
風帯(ふうたい):掛け軸を巻いたときに固定するための紐。

掛け軸の種類

掛け軸には主に以下の種類があります。

絵画掛け軸:風景画や花鳥画などの絵が描かれたもの。
書掛け軸:書道作品が書かれたもの。
詩書画掛け軸:詩や書、絵が組み合わさったもの。

掛け軸の使い方

掛け軸は、日本の伝統的な建築様式である和室の床の間に飾られることが多いです。

床の間は、部屋の中で特に装飾を施す場所であり、そこに掛け軸を掛けることで室内の雰囲気を引き立てます。

掛け軸のテーマやデザインは、季節や特別な行事に合わせて選ばれます。

掛け軸の歴史

掛け軸は、中国から伝わった絵画や書道を日本風にアレンジしたもので、その歴史は古く、平安時代から使われ始めました。

鎌倉時代や室町時代にかけて広まり、茶道の発展とともに重要な文化財として位置づけられるようになりました。

まとめ

掛け軸は、芸術作品を簡単に飾り、季節や行事に応じて交換できる便利で美しい装飾品です。
その多様なデザインや歴史的背景から、日本文化の一部として愛されています。

2、Wikipediaで読む「掛け軸」とは?

掛軸(かけじく)とは、書や東洋画を裂(きれ)や紙で表装したもの。日本では床の間などに掛けて鑑賞し、「床掛け」と言われることもある。後述のように、掛け軸と同様な方法で保管・鑑賞される書画は中国美術に古来存在する。

各名称

仏教を広めるための道具として日本に流入した後、日本の文化と融合し、室内装飾で重要な役割を果たしている。「床掛け」に近い掛軸としては、茶道の茶室内で用いる禅語などを書いた、やや細い「茶掛け」がある。それ以外では、仏壇の中で使う「仏掛け」があり、本尊や脇侍の絵像が描かれていたり、名号・法名軸に仕立てられたりしている。

現代においても、昔の掛け軸が文化財として保護・展示されていたり、骨董として収集・売買されたり、肉筆や印刷で新たに制作されたりしている

掛軸の伝来

中国の北宋時代に掛物として掛軸が用いられていた。「掛けて拝する」事に用いられ、礼拝用の意味合いが強くあったと思われる。桐箱に入れると持ち運びに容易である事と、比較的複数生産が可能であったため、掛軸は仏教の仏画用にまず普及を始めた。

掛軸の発展

日本では、すでに飛鳥時代に掛軸が仏画として入ってきているが、鎌倉時代後期に禅宗の影響による水墨画の流行から掛軸も流行していった。この流行により、掛軸は「掛けて拝する」仏教仏画の世界から、花鳥風月の水墨画など独立した芸術品をさらによく見せる補完品として発達していった。
室町時代以降、「茶の湯」の席で座敷の「床の間」にも水墨画の掛軸が多く見られるようになった。千利休が掛軸の重要性を言葉にするようになると、茶を愛する人達により掛軸が爆発的に流行するようになった。来客者、季節、昼夜の時間を考慮して掛軸を取り替える習慣が生まれた。来賓時、その場面の格式などを掛軸で表現することが重要視される考え方が生まれた。真の(さらに真、行、草)、行の(さらに真、行、草)、草の(さらに行、草)などである。

掛軸の普及

江戸時代に明朝式表具が日本へ入り、文人画には文人表装などで掛軸が華やいでいった。それと同時に、表具の技術技巧が著しく発展を遂げた。また、大和錦・絵錦唐織など複雑な文様の織物が好まれ、西陣など織物産地で次々生まれていった。18世紀には、江戸を中心とする狩野派とは別軸で京都画壇が栄えた。日本画も楽しむという価値観を持った人達に支持され、掛軸もそれにつれ、芸術価値を高めていった。肉筆浮世絵で花開いた。明治・大正期は日本画の隆盛により、掛軸もさらに大きく飛躍していった。昭和に入ると、官公庁主催であった「文展」(現:日展)と「日本美術院」などの台頭により日本画の隆盛期を迎えた。

掛軸の今

現在は非常に質の高い作品を身近に楽しめるだけの環境が整っている。掛軸は日本が誇れる伝統と文化のひとつを担っている。一般家庭における床の間は、家族の心の拠り所であり、ご来訪のお客様をもてなす大事な場所だとされる。掛軸は、家主の思いを来客に伝え、先人の想いを子孫に伝え、また、日本人の長い歴史に培われた「美」を表現する大切なお道具となった。

(引用:掛軸 – Wikipedia )

3、「掛け軸」についての要約

掛軸は中国から伝わり、平安時代から日本で使われ始めました。

鎌倉時代から室町時代にかけては水墨画が流行し、茶道の発展とともに掛軸も広まりました。

江戸時代には、表具技術が発展し、明治・大正期には日本画の隆盛により掛軸も飛躍的に発展しました。昭和時代には、日本画の隆盛期を迎えました。

現代でも質の高い掛軸が鑑賞され、家庭の床の間で家族の心の拠り所として大切にされています。

掛軸は日本文化の一部として、先人の思いや日本の美を伝える重要な役割を果たしています。

 

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